最近、こんなYouTube動画ばかり見ている。
来日する外国人の観光客や、アメリカの大物俳優や歌手がこぞって日本のファンになっている動画だ。
なぜか涙が出そうになる動画もある。
みんな
- 「食べ物がおいしい」
- 「人が優しい」
- 「街がきれいだ」
- 「電車でのマナーがいい」
- 「公衆トイレが神」
- 「新幹線が感動」
- 「自動販売機がすごい」
- 「日本は未来を生きている」
などと口をそろえている。
タイで生活して1年になり、アマゾンに似た、LAZADAという格安サイトで買い物することが多い。
しかし、質が悪いものが多く、1年以内に使えなくなるものが少なくない。アマゾンは最近は中国製も多いが、それでも比較的質は良いものを売っていたなと感心している。
1万円ほどで買ったパソコンチェアは先日壊れて、やはり日本で売られているものは頑丈に作られていると再確認した。
そんなことで、家電製品はできれば、電圧を確認して、パナソニックなどでそろえるようにしている。
日本の製品は完璧主義の人たちが作ったのではないかと思う。
製品開発の競争が国内だけで過剰に行われ、ほぼ完璧に仕上がっているのではないかと。例えば、ウォッシュレットなんて、洗浄部分はもう改善しようがなく、人が近づくとフタが開くとか、自動洗浄とか余計な機能がつきすぎて高く販売している感がある。海外では、ウォッシュレットさえ販売されていないのに。
それで、完璧さを求めた人たち、それに応えた人たちが何をもたらしたかというと、一つに「クレイマー」という存在が生まれたのではないかと仮説する。
クレームの種類は何種類もあるようだが、言い分は「正論」だ。
わずかなミスを重箱の隅をつついておおごとにしたり、「なにかあったらどうするんだ」、「お客さまは神さまです」という思考のもと、過剰な製品開発、神扱いのサービス、製品サポートなどが生まれてきた。
それでクレームを言っている人は、もしかしたら、自分もクレーム言われて来た人ではないかと思った。
だから、「自分はこう対応してやってきたのだから、あなたにも同様にこのくらいはできるだろう」と期待し、クレームをつける。
だから例えば
- 比較的一流企業で活躍してきた人たちが、定年して、部下にぶつけることができなくなり、老害も兼ねてクレイマーになってしまう
- 金融機関の1円のミスも許されない世界とか、少しのミスが命取りになる完璧を求められて仕事をしてきた人たちが、簡単なミスに憤慨して若くてもクレイマーになってしまう
のではないかと考えた。
自分が(たくさん)受けたクレームのうち、2つを紹介したい。
自分は入社1年目に電話受付の仕事をした。「一言目からパカヤロー」と大声でどなられ、電話に出ることが怖くなることもあったし、電話で問題が解決でき、感謝されることもあった。その仕事は1年で終わって良かったが。
今、思い出したのだが、めちゃくちゃ知能犯的なクレイマーがいて、やられたことがある。
入社数年目だが、自分は朝一番でたまたま電話番をしていて、お客さまからの電話に出た時に、名前を名乗らなかった。その上、ごちゃごちゃ難癖をつけてきたので、こっちもきれてしまい、反抗したら、2時間くらい電話で説教を続けられた。今思えば、「上司よ、途中で変わってくれよ」。
その日の仕事はもうできないくらいな精神状態となり、午後からは早退した。
そして、数日後、同じ職場で被害者はほかに3人くらいいたそうだが、自分が一番悪態をついたので、職場のトップ3人と一緒に、菓子折りを持ってクレイマーの家に行き、土下座で謝罪した。行く時に「今回は絶対に反抗せず、ひたすら謝れ」と言われた(笑)。
あとでわかったことだが、なぜうちの会社が狙われたかというと、「娘をうちの会社に入れさせたかったから」らしい。もし、その娘が誰かわかったら自分はその娘を間違いなくいじめるんですけど(笑)
けっきょく娘さんとは接触はなく、残念でしたが、娘さんとしても「危ない親をもっている」という目で見られるわけで、仕事しにくいとは思うのですが。
なんとそのクレイマーは、NTTの電話対応で最初にまず自分の名前を名乗るよう全国に統一のルールを作らせた張本人だとあとで聞きました。自分の会社もそうなったかも。
すみません。この話はあまり本題とは違う話でした。ただ思い出話を語らせていただきました。
次のクレーム話は本質です。こんなクレームをつけられたことがありました。
ホームページ制作の仕事をしていて、格安で作る代わりに、細かい要求には応えられないと「言って」いたのです。しかし、そいつは、次から次へといろいろな要求をしてきて料金を10倍くらいもらわないとやらないようなことを言ってきました。自分もそれはできないと言いましたが、「そんなの聞いていない」みたいな感じになり、仕方なくなるべく対応することに。
すると、今までやったことがないことばかりに対応することになったので結局スキルが上がりました(笑)
ただあまりにも要求がひどいので、過去のメッセージのやりとりをさかのぼってみたところ、自分が「難しすぎることには対応できませんが」的な文章を入れていたので、それを証拠に(弁護士に相談した上)その仕事を断り縁を切りました。
それからはホームページ制作に着手する前にお客さまに「値段相当のことしかしない」と覚書を書いていただくようにしました。
ということで図らずともクレームを入れられることでスキルが上がり、覚書を書いてもらうことで、変な客に当たることもなくなりましたので、「そっか、クレームによって質が上がるのか!」と体感もしているわけです。
おそらく日本にはそういうケースが山のようにあって、それが今日の日本の素晴らしい製品、サービスを生み出したきっかけであり、さらにはその裏で多くの精神的疾患者や過労死を生み出したというわけです。
海外からの旅行者は、その表と裏の表の部分だけみて、感動しているというわけですね。
すばらしく住みやすいが、闇が深い世界と、タイみたいに混沌としているけれど、マイペンライ(なんくるないさー)的な仕事をしている世界。どちらがいいんでしょうね?
この考察、いかが思いますか?