

いつも行く、ジムで中には入れてもらえない子。最近はちゅ~るをあげている。

ジムの隣の建物でリフォームをしていたが、空き室募集をしていた。

月にいくらか問い合わせをしている。
車がある人はこういう建物、いいんだろうね。
隣のジムを使い放題だ。
食事はいつもの感じ。

カオマンガイは週に3回は食べているかも。最近、ガパオライスは食べていない。

一昨日から、旅行で来ている隣のコテージには、3人の金髪系女子(ファラン)だ。
そのうるさいことうるさいこと。よくもまぁこれだけ大声でギャーギャーワーワー話せるものだ。
恋バナトークでもしているのだろうか。
今住んでいるところは、ホテルも兼ねているので数日でいなくなるのでそれはそれでありがたい。
これが連日続くようならば引っ越しも考えなければならないだろう。
5月13日はタイは祝日だそうで、なんと占星術で日にちを決めるそうです。
面白いですね。

最近、こちらのチャンネルが面白い。

「会社の裏側」というよりも、「シニアの生態」って感じで、自分と同世代のシニアたちが、いかにアホな事をしているか(笑)、もったいない人生を送っているか、その生態を知ることができる。
反面教師としてとても参考になる。
例えばこんな動画とか。

これなんだよなぁ。
やらなかった後悔はずっと残るんだよなぁ。
「仕事があるうちは日本で働いて、働けなくなったらパタヤに移住したい」と言っていた人がいたけど、働けなくなる体力、気力だと、移住する体力、気力もなくなっていると思いますよ。
ちなみに、こういう動画は文章だけだから、notebookLMに抽出させてそれを読むのがいい。

notebookLMについては以前書いた。
ウララちゃん動画、今後ゆっくりと目を通したい。
この物件いいなぁ。
バンコクより少し離れたこのくらいの距離のところのほうが住みやすいと思うんだよな。
バンコクのど真ん中に住む必要はないし、電車ですぐに行けるのだから。
スワンナプーム空港も近いので、旅行に行きやすい場所だ。
ナレーションが感情こもっていて(最近はAIばかりだから)、うまいなぁと思っていたら、DKさんだった(笑)
facebookで2つの投稿が良かった。

男が本当に好きになる女って、女の皮を被った男だよな。
これ、かなり語弊あるんだけど、でも長く付き合えば付き合うほど、そう感じる瞬間がある。
男って最初は、見た目とか、女性らしさとか、可愛さとか、色気に惹かれる。
でも、長期で本気で愛され続ける女って、感情だけで暴走しない 仕事の話しを理屈で会話できる 自分の軸を持ってる 依存しすぎない サバサバしてる
話が面倒くさすぎないみたいな、「人として付き合いやすい」属性を持ってることが多い。
でも勘違いしたらダメなのが、ただ男っぽいだけ、ただサバサバしてるだけ、それだけじゃ恋愛にはならない。
そこに必要なのは、人としてのリスペクトと、女としてのギャップ。
普段は戦友みたいに話せるのに、ふとした瞬間だけ女性らしさが出る。
精神的には自立してるのに、甘える時は甘える。
熱を持って仕事の会話ができるのに、ちゃんと可愛げもある。
このバランスが絶妙な女性、男はマジで沼る。
逆に、「私は女だから察して」だけになると、男は長期で疲弊する。
でも逆に、全部男っぽくなりすぎると、今度は恋愛のトキメキが消える。
んーむ、難しいですなぁ。
結局、長く愛される女性って、女らしさだけでもなく、男っぽさだけでもなく、人として尊敬できる人。
これが最強なんだと思う。
これなんだよなぁ。「人として付き合いやすい」属性をもっている「女の皮を被った男」。この一言に尽きる。
こんな人に会ってみたい(笑)
SNS映えする「キレイ」だけを売りにするだけの女は長く付き合うことはできない。会話が成立しないから。
まぁ悲しいことにもともと相手にされないけれど。

なぜ地元に残ってるヤンキーたちは、あんなに幸福そうなのか。
答えはシンプル。メタ認知しないから。
世界の広さを知らない。
自分の限界にも気づかない。
ただ、目の前の毎日を、仲間とワイワイ楽しんで生きている。
この状態は、心理学でいうところの「無知な幸福」。
ダニング=クルーガー効果で言えば、Mount Stupid(無知の山)にいる状態だ。
だからこそ、彼らはハイテンションで、幸福度が高い。
ここまではいい。
でも、もし一歩でも外に出て、世界の広さ、自分の小ささに気づいてしまったら。
人は一気に奈落に落ちる。
これが、キャズム(深い谷)。
メタ認知と幸福は比例するのか?
答えは「単純な比例ではない」。
メタ認知能力が上がると、人は一度、幸福度を落とす。
無知な頃は、根拠なき自信で幸せだった。
しかし、「自分は無知だった」と気づく瞬間、人は絶望する。
世界の広大さと、自分の無力さを直視してしまうから。
いったん膝をつく。生きる意味を見失う。
でも、さらにメタ認知が進んだとき、こう思えるようになる。
「それでも、自分はここにいる」
知らないことがあってもいい
完璧じゃなくてもいい
この小さな自分なりに、できることをしていけばいい。そうやって、無知も無力も受け容れた先に、静かで深い幸福がやってくる。
極論、量子論的に考えると、
この世界は、観測されることで存在している仮想現実にすぎない。
粒子は観測されなければ形を持たない。
時間も空間も、絶対ではない。
つまり、
この世界は「観測者のために設計されたゲーム」
かもしれない、ということ。
そう思ったら、人生に対するスタンスが変わる。
成功も、失敗も、喜びも、悲しみも、
全部「ゲームの中のイベント」みたいなものだ。
だったら、
成功してもおごらない
失敗しても腐らない
他人の評価に踊らされない
ただ、今ここを、楽しむ。
そんなふうに、世界と向き合える。
最初にいた、地元のヤンキーたちの幸福度。
彼らは、世界を知らないから無邪気に幸せだった。
そして、
量子論までメタ認知しきった人間もまた、
同じレベルの幸福度に帰ってくる。
ただし、違うのは、
「すべてを知ったうえで、楽しめる」 ということだ。
無知による無邪気さではなく、理解と受容を超えた、静かな無邪気さ。
これが、メタ認知→絶望→再生→量子思考を経た先にある、本当の自由と幸福なのかもしれない。
こういう幸せを求めたいものです。
2時間くらいの動画。不覚にも泣いてしまった。
俺の貴重な1時間(2倍速)が有意義な時間になった。
スリコなんて初耳だよ。札幌で寄る。
すごい。スリランカ、行かねば。
この動画もいい。20代でも使える。

